オリジナル小説「夜明けのサーカス」①

 おおきく煌びやかなステンドグラスの向こうに、2つの松明が白い炎をちかちかと燃やしている。そのゆらめきを受けて、深い蒼や藍のガラスから、不安定な光が漏れる。差し込むまばゆい光。あたたかい青色の泡沫。それを一身に受けて、ひざまずくのは«わたし»。それを見下ろすのも、«わたし»。
 床にひざをつき、祈るような格好の«彼»は、薄桃のサテンのドレスをまとっている。あらわになった肩には、薄く骨が浮いている。四肢も細く頼りない。うぶげにつつまれた肌は、純白のマシュマロのようだ。じっさいのところ、彼は『少年』とも『少女』ともつかない。だからわたしは、ぼくは、わからない。ただ、それがじぶんの姿だ、という認識だけはたしかにある。
 彼はやおらに立ち上がり、振り向く。数歩すすんで止まり、両の手を上方に差し出す。そこにぶらさがっているのは、どこからか伸びる太い縄だ。先のほうがすでに縛られてあって、まあるくフックが垂れ下がっている。ふるくから処刑に使われてきた、おぞましいシルエット。彼は爪先立ちをして、その輪を首にかける。
 すると大きな音を立てて、地面が崩落した。«ぼく»の意識が、その体と、瞬時に同化する。ガクンと全身が落ち、宙に浮く。どろりとのしかかる重力を受け、全体重が、首もとの一点に集中してかかる。痛い。苦しい。という感覚は、しかし一瞬にして消え去った。甘たるい香りのなかで、ふあんと脳が浮遊する。はちみつとバター、それと、百合。狂おしいほど強烈な芳香──これが、死の匂い。
 目の前で太いゴムが弾けたような衝撃に、ぼくはいきおいよく頭を起こした。同時に、ひどく咳き込む。ひゅう、と深く息を吸って、呼吸を整えようとしたが、空気が喉にからんで、また咳き込んだ。右手で喉を押さえ、左手で真っ白なシーツを握りしめる。ぼくは広いベッドのうえで、肩で荒く息をする。
 何度目の夢だっただろう。いつもおなじ夢を見る。それが夢だという実感はあるが、それでいていまも夢から覚めた気がしない。なぜなら、目覚めてなおも夢のなかとおなじに、ぼくはいったいだれなのか、わからないからだ。
 涙ににじんだ目で、あたりを見回す。薄暗い部屋には窓がないし、明かりもない。だが壁も家具もなにもかもが白いためか、あるいは闇に目が慣れきっているのか、そこにあるすべてがほのかに発光しているようにもおもわれ、部屋じゅうをきちんと視認することができた。天井からベッドをつつむように垂れ下がったシフォンのベール。その奥には、右手の壁にタイル貼りのチェストがある。左手には全身が映せるサイズのミラーも見える。正面にはちいさなまるいテーブル。そのうえには、透明な花瓶に生けられた白い花が2輪。花の名前は、わからない。あとはすべて、つるりとした無表情の壁である。狭くもなければ広くもない。特徴のない、四角い部屋。
 いつからこの部屋にいるのかさえ、ぼくには見当もつかない。ただ、永遠ともおもえる時間を、ぼくはこの部屋の、このベッドのうえで過ごしている。朝が来たのかも判然しない。夜の気配すらもかんじられない。そもそもこの部屋に、この空間に、1日という時間の概念があるのかどうかすら、不明だ。さして気にかけたこともない。
 いつもならぼうっと虚空をながめ、理由もわからぬうちにあふれてくる涙をぬぐいもせず、そのうちにまた眠りにつく。だが、きょうはなぜかすこし気分がちがって、ふとベッドから降りてみようという気になった。じぶんでも、よくわからない心の動作だった。こんなことは、いままでになかった。ふしぎだ。とにかく、そうしたい。
 さしたる抵抗もなく、ぼくはそのめずらしい欲求に、素直に身を任せることにした。清潔なカバーがかかった布団を足元に追いやって、はだしの足を片方、ベッドの右わきに下ろした。つま先が床につく。ひんやりとした感覚が、足の指から伝って心臓をピンとつらぬいた。そろりともう片方の足を下ろす。つるつるしたビニル素材の床だ。ペタリと両方の足の裏をくっつけたのち、そっと体全体を預ける。腰から上をベッドから下ろす。ちょっとよろけたが、きちんと立つことができて、ほっとした。それからおもむろに足を前に出してみる。一歩、二歩と足を交互に出してみて、どうやら歩行機能にも問題がないことがわかる。──そうか、ぼくは、歩けたのか。
 すぐ右前に見えていたチェストのうえに、なにかがあることに気がついた。これまではぜんぜん、気づかなかったのに。なんだろう? 近づいて、おもむろに手に取る。手のひらサイズの、ちいさなガラス瓶だった。ダイヤモンドカットのように面がいくつかに刻まれた、円形の薄っぺらい本体に、ダイヤ型の細長い栓がしてある。栓を抜き取って逆さにしてみるが、中は空だ。香水でも入っていたのだろうか。それを手に持ったまま、ぱたぱたとじぶんの体を触った。この瓶がなぜか気に入った。ポケットにしまいたい、とおもった。そういえばミラーがあったなとおもいだし、テーブルを横切って、今度は部屋の反対側のほうへ移動する。
 全身鏡に映ったのは、夢で見たままの«わたし»だった。少年らしくもあり、少女のようでもある。ただし着ているのは、淡い水色のパジャマだ。上下が分かれていて、下はだぼっとしたズボン、上は襟があり、前でボタンをかけるシャツタイプのもの。左胸にポケットがついているのを、鏡で見てはじめて知った。そこに瓶を差し入れてみると、すっぽりと収まり、ぼくは満足した。
 ミラーから一歩下がる。テーブルのうえの様子が視界に入る。花瓶の花。花冠は握りこぶしほどで、無数の舌のような形をした花弁が、ふさふさとしたやくを囲む。そのすべてが白い。凹凸に差す青い影が、ようやくそれが立体であることを示している。ひとつを軽く手に取り、鼻を近づけてみた。目をつむって感覚を研ぎ澄ますが、匂いはかんじられなかった。すこしだけがっかりした。
 視線をあげる。奇妙な違和感をおぼえる。ワンテンポ遅れて、その正体に気づいた。
 ドアがある。
 ベッドの正面の壁の中央。さっきまで、なにもなかったはずだ。ただの平たい壁だった場所。そこにくり抜かれたように、ちょうど人ひとり通れるほどのドアが、いまはある。出現した、としか言いようがないが、果たしてそんなことがあるだろうか。わからない。これがこの世界(?)の法則なのかもしれない。そう納得した。
 それはさておき。ぼくは低くうなる。これは、開けてみるべきだろうか。さっと不安がよぎり、胸がしくっとした。これを開けて、パンドラの箱よろしく、予測不能なとんでもない厄災が飛び出してきたら、どうしよう? といって、開けないのもなんだか具合が悪い。ドアは、開けるものだ。開けてみたい。
 好奇心に身をゆだねることにした。テーブルを迂回し、近づく。やはりドアも全体、白い。ノブはまるく、にぎりやすい形をしていた。右手でそっと触れる。金属の冷たさをかんじた。ぐっと掴んで、ひねる。押すのか引くのかわからなかったから、ひとまず、押した。おもった以上にドアは簡単に開いて、いきおいよくつんのめった。前方に転倒しそうになって、おもわずぎゅっと目をつむる。とっさに立ち止まれず、よろけながら数歩先まで進んでしまったが、どうにか転ばずに済んだ。その場でひざに手を置いて、胸を撫でおろした。
 きしんだノイズに彩られた、不吉なほど愉快なメロディが、すぐ真上から大音量で流れ出す。びくりと跳ねあがって振り向くと、そこにドアはもうなかった。代わりに錆びた柱が立っていて、上方に灰色のスピーカーがくくりつけられてある。メロディはそこから流れているらしかった。
 ついでに、空が視界に入った。突き抜けるような快晴。わたあめのような雲が、まだらにぷかぷか泳いでいる。
 はたと視線を前に戻す。たくさんの色ときらめきが、怒涛のように押し寄せ、両目から飛び込んで脳に刺さる。目の前では、金銀のペイントをほどこされた馬や馬車が、空虚にちぐはぐに上下し近づいては遠ざかる。天蓋のふちを飾るちいさなライトが、ビカビカと点滅している。メリーゴーランドだ、とわかった。
 あらためてあたりを見回す。奇妙なかたちをしたおおきな機械──アトラクションが、ぼくのまわりにいくつも点在しているのが見て取れた。ガシャンガシャンと異音を立てながら、たんたんと動き続けている。
 そうか、遊園地だ。そう理解するのは、たやすかった。しかし妙なのは、周囲に人影が一切見られないことだ。だれもいない。どのアトラクションにも、乗り物のなかにも外にも、それを楽しむ人々の姿は、見えない。見当たらない。歓声もない。遊園地にはかならずあるはずの影が、ない。それゆえに、けたたましくメロディが鳴り響くなかにあってなお、異様な静寂がある。
 足の裏に触れるアスファルトのざらつきに、ふと、はだしであることが心細くなった。そうおもった瞬間、両足はふわりと包まれる。気づけばぼくは紫色のスニーカーをしっかりと履いていた。サイズはぴったりで、だいぶ歩きやすそうだ。おかげで、決心がついた。
 ここに突っ立っていたって仕方がない。すこし歩いてみよう。

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